注意の言葉が多いと授業の雰囲気が悪くなる。生徒の気持ちがマイナスに向かう。悪循環の始まりである。授業中の私語がひどいとき、注意の言葉を削った指導をすることが出来た。今までにないよい反応が得られた。
TOSS高校通信8号掲載論文
11月のある日、担任学級での授業。いつもにまして生徒の私語がやかましかった。
席の離れた3組6人の生徒がそれぞれに私語をしているのである。隣同士の私語も同じくらいある。周りの私語に負けないように話すので、騒然となっていた。
はじめ、私は私語のすべてを無視した。
顔のあがっている生徒、手の動く生徒と目を合わせつつ、授業を進めた。
私も生徒もつられなかった。
静かにしている生徒たちはだらけることなく板書を写していた。
普段はよく使う「よけいなおしゃべりはしない」もこのときは一度も言わなかった。
30分を過ぎたころ、なぜか私は我慢が出来なくなった。今までなら怒鳴った場面だった。
このときはこう言った。
「きちんと座りなさい。手に持っている物を置きなさい」
私語がうるさかったと思う人は起立しなさい。
反射的に立ち上がった生徒が4人いた。まるで雷に打たれたようだった。
「必要な言葉がありますね」
「申し訳ない」「ごめんなさい」
「それで」
「もう、しません」
言葉だけという感じがする。言葉に実感がない。
「出来ますね」
「頑張ります」
「大丈夫ですね」
生徒が頷く。
「座りなさい」
そして、一人は寝てしまった。
一人は静かになった。
一人はかなり静かになった。
一人はしばらく静かだったが、またしゃべってしまった。
「T君。さっき頑張るって言ったよね」
「うん」
「頑張りなさい」
「はい」
今度はT君の静かさが少し長持ちした。
授業が終わるころ、
「俺、初めてノート全部書いた」
と言った。
T君はしゃべっているか居眠りしているか、という生徒だ。何か注意すると、「何で俺ばっかり」と口答えすることもある。
忘れ物も甚だしい。昼食を友達と食べるために鞄を持っていくと、授業の時には忘れてくるのだ。
1時間全部のノートを書いたことはほとんどない。数学や国語の時間は担当教師から「何もしない」と言われている。
そのT君が私語のうるささを指導されて反抗せず、ふてくされることもなく、かえってノートを書き終えたのである。
なぜこうなったのか。
それは、教師が叱る代わりに、生徒に
自己判断をさせた
からだと考える。
今回は偶然得られた結果である。私語の相手の生徒を指導していない点が不十分だったし、起立した生徒の追い込み方も甘い。
生徒の事実が得られるよう、教師修行につとめていきたい。